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明治 名人達 和歌32幅 林羅山 白川義則 岡鹿門 松本奎堂 山中静逸 賀古残夢 大橋翠石 水田竹圃 月江正文 荻野独園 大河内信古 小堀水翁
サイズ:
全体サイズ:40x21x厚8cm
短歌サイズ:6x36cm
林 羅山(天正11年(1583年) - 明暦3年1月23日(1657年3月7日))は、江戸時代初期の朱子学派儒学者。
林家の祖。羅山は号で、諱は信勝(のぶかつ)。字は子信。通称又三郎。
出家した後の号、道春(どうしゅん)の名でも知られる
松嶽 白川 義則(1869年1月24日(明治元年12月12日) - 1932年(昭和7年)5月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将、
栄典は勲一等功二級男爵。関東軍司令官・陸軍大臣を歴任する。上海派遣軍司令官であった1932年(昭和7年)4月29日、
上海天長節爆弾事件において尹奉吉の投げた爆弾により重傷を負い、翌月に死去した。白川義則「松嶽」の下に、
陰刻「白川義則」と陽刻「松嶽」の落款が押されている。
岡 鹿門(天保4年11月2日(1833年12月12日) - 大正3年(1914年)2月28日)は、
幕末期の仙台藩士、明治時代の漢学者。名は千仭(せんじん)、字は振衣、初名は敬助、鹿門は号。
幕末から明治を代表する漢学者の一人で、多くの門人を数える。
17年中国に遊び李鴻章と会談した。
松本 奎堂(天保2年12月7日(1832年1月9日) - 文久3年9月25日(1863年11月6日))は
幕末の志士。通称謙三郎、名は孟成、衡。字は士権。奎堂は号。別の号に嬬川、洞仏子がある。
山中 静逸(文政5年9月2日(1822年10月16日) - 明治18年(1885年)5月25日)は、
明治時代に活躍した書家・政治家である。明治2年(1869年)には桃生県(石巻県)知事に就任
賀古 残夢(1869年1月13日 - 1938年3月21日)は、日本の映画監督、演出家、小説家。
本名は賀古 保五郎
大橋 翠石(1865年- 1945年8月31日)は岐阜県大垣市出身の明治から昭和にかけて活躍した日本画家である。
世に「虎の翠石」と言われて名高く、その描くところの虎画は本物の虎がまるで生きているかのような躍動感がある。
水田竹圃 1883-1958 明治-昭和時代の日本画家。
明治16年2月14日生まれ。姫島竹外にまなぶ。大正元年から文展で入選をかさね,5年「早春」が特選。
10年河野秋邨(しゅうそん)らと日本南画院を創立した。のち帝展審査員。昭和33年7月11日死去。75歳。
大阪出身。本名は忠治。
月江正文 げ(?-1462/63) 室町時代の僧。
曹洞(そうとう)宗。上野(こうずけ)(群馬県)補陀(ほだ)寺の無極慧徹(むごく-えてつ)に師事し,同寺2世となる。
題淵明小像(元貢師泰)
七言句 押尤韻 顯示自動注
烏帽青鞋白鹿裘,山中甲子自春秋。呼童檢點門前柳,莫放飛花過石頭。
荻野独園(文政2年(1819年)6月 - 明治28年(1895年)8月10日)は、幕末・明治の臨済宗僧侶。諱は承珠、
字は独園、号は退耕庵。独園承珠とも。廃仏毀釈の際に相国寺住持として日本の禅宗を守るために奔走した。
大河内 信古(文政12年4月23日(1829年5月25日)-明治21年(1888年)11月27日)は、別名松峰 三河吉田藩の第7代(最後)の藩主。
松平伊豆守系大河内松平家11代。はじめ松平信古と名乗る。官位従五位下、伊豆守、刑部大輔幕府
江戸幕府奏者番、寺社奉行、大坂城代主君 徳川家慶→家定→家茂→慶喜藩 三河吉田藩主→豊橋藩知事
小堀水翁 1803-1876 享和3年生まれ。肥後熊本藩士。他藩からの門弟もおおかった。74歳。名は闊芳。通称は清左衛門。
著作に「小堀流遊泳術之伝」など。
河村瑞軒[1618~1699]江戸時代初期の政商。幼名は七兵衛、通称は平太夫、諱は義通、東廻り航路・西廻り航路を開発。
安治川などの治水工事にも業績を残した。
湯浅 常山時代(1708年5月2日-1781年2月1日)
改名新兵衛(通称)別名常山(雅号)。元禎(諱)。之祥(字)備前岡山藩士
飯室昌栩 1789-1859 江戸時代後期の博物学者。
野村 泊月(のむら はくげつ 1882年6月23日 - 1961年2月13日)は、兵庫県出身の俳人。本名勇。
竹田村(現丹波市)生。酒造家西山騰三の次男で兄は西山泊雲。1897年、早稲田大学英文科卒。同年結婚して野村姓となる。
中国の杭州で教職についたが、病により帰国し、1910年より大阪九条で日英学館を経営した。在学中より高浜虚子に師事。
兄泊雲とともに丹波二泊と呼ばれた。1922年、田村木国、皆吉爽雨と「山茶花」を創刊、雑詠選者。
1936年、「山茶花」を辞し「桐の葉」を創刊・主宰。豪放磊落な性格で酒豪であった。
松川 半山(文政元年〈1818年〉 - 明治15年〈1882年〉10月21日)とは、江戸時代後期から明治時代にかけての大坂の浮世絵師。
磯村 春子(いそむら はるこ、1877年3月16日- 1918年1月31日[1])は、明治・大正期の新聞記者。
中村 春堂(明治元年7月3日(新暦 1868年8月20日)生~昭和35(1960)年3月14日)
名は尚友、字は玄郷、通称を梅太郎、雅号を春堂または耕心齋と称した。書家 福岡の人 日本の能書家 漢学者 中村芳平の子
小野鷲堂 師事寒香書道院を主宰。「習字之友」「日本書道」を発刊。泰東書道院学術顧問、日展審査員を務めた。
宮越正治(機山)明治18~昭和13(1885~1938)。尾別出身の漢詩人。宮越家の宗本家に生れ磯山と号しました。漢詩は奥田抱生に師事し、
弘前長勝寺住職山口彰真とも友交がありました。古詩に詳しく昭和4年頃随縁集・禅余集の2冊を翻刻し、
遺稿に古詩調の紫燕棲詞鈔2冊があります。庭園造りにも定評があり、同家の静川園には、逓信大臣安達謙蔵が訪問した。
入沢 達吉(いりさわ たつきち、1865年1月31日(元治2年1月5日) - 1938年(昭和13年)11月8日)は明治~昭和期の医学博士、
内科医。東京帝国大学教授、東京帝国大学附属医院長・同大学医学部長・宮内省侍医頭等を歴任、日本の内科学確立に貢献する。
佐藤精明遺稿 (佐藤弘毅): 1847-1937 相馬史
浮雲齋一瓢散人, 明和3 [1766]
菊池湛隆
石原梯山
竹春
子正
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